神のみぞ知るセカイ 神と悪魔と天使
神のみぞ知るセカイ―神と悪魔と天使 (ガガガ文庫 あ 4-1)
- 作者: 有沢まみず,若木民喜
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2009/05/20
- メディア: 文庫
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■ ストーリー
"落とし神"と呼ばれる少年がいた。
その名の由来は、いかなる美少女(ゲーム世界の)をも落とすことからそう呼ばれている。
そんな異名で呼ばれる桂木桂馬にはエルシィという協力者《バディー》と呼ばれる人物がいる。
本名をエリュシア・デ・ルート・イーマと名乗る彼女は、"駆け魂"と呼ばれるものを討伐、回収するために地獄から派遣された悪魔なのだ。
彼女は彼と契約して協力者になってもらい、日夜"駆け魂"を探している。
というわけで(どういうわけだ)桂馬は今日も平和にギャルゲーをやっている。
■ 桂木桂馬
何時如何なるときもギャルゲーをし続ける少年。
手には常に携帯ゲーム機を持ち、考え事をするときでさえ、お風呂に入っているときでさえゲーム機を手放さない。
しかし、ギャルゲーから得た知識や、人の分析(といっても女性限定)をするときの考え方は凄まじいものがある。
彼は天才、いや神様ですね(色んな意味で)。
■ しかし
桂馬の考え方(というか分析力)は凄いですね。
女性と話してその人の性格を分類する所見てるとアホらしく思えてきます。
天美透という"駆け魂"持ちの女性を考察したときの例を見て見ます。長かったんですが、書きたくてしかたなかったので。
「電波系は大まかに言って"真性受信タイプ"と"お花畑タイプ"があるんだ。それぞれ外見的にもかなり違いがあって"真性受信タイプ"は青白い肌、無表情な顔立ち。髪はショートだったり、ベリーショートが多い。対して"お花畑タイプ"はふりふりな乙女っぽい服装。髪はほぼ十中八九ロングかセミロングだ」
「"真性受信タイプ"は多くの場合、心に闇を抱えていたいたりする。突然、奇妙なことを口走ったり、奇っ怪な行動に走る。文字通り何か悪い電波でも受信したのかのようなエキセントリックな言動をとるのがこのタイプだ。また極めて危険な属性としても知られている・・・・・・ボクも何度、手ひどい修羅場に巻き込まれたことか」
「まあ、天美透は後者、いわゆる"お花畑タイプ"だけどな。"真性受信タイプ"とは真逆でエキセントリックな行動をとることはない。独自の法則に基づく独自の世界観に生きている。人畜無害なタイプだよ。よく"天然"キャラと間違われたりするが」
と、桂馬は少しその端正な眉を顰め、
「まったく違う。完璧に違う!」
「"天然"はそもそも物語を紡がない。ときどき、現実認識に齟齬があるだけで主観はあくまで現実に根ざしている。"天然"と指摘されるのは現実とその"天然"の行動にズレが生じたときだけなんだ。あくまで。だけど"お花畑タイプ"は違う。彼女らの主観は最初から最後まで現実と重なり合わない。逆にズレが重なり合った部分がボクら一般人との共通言語になっている。さっきの"真性受信タイプ"がたとえば一貫しない悪い電波に反応して行動しているように見えるのだとした、"お花畑タイプ"は目に見えない妖精に囁かれ導かれ動くというか。必ずその後ろに一貫した世界観を持っているものなんだ」
アナタハ、ナニヲ、ハナシテイルノデスカ?
ギャルゲーノシスギッテヤツデスネ。
■ そんなこんなで
桂馬の明晰な頭脳で"駆け魂"を持つ女性たちを解き放つため日々行動しているのですが、なんというか桂馬のキャラクターが強すぎてエルシィのキャラクターが薄れているのが残念ですね。
逆に言えば、彼がべらべら喋るのに対して聞き手にまわったり、不機嫌に黙って黙考する様子に頑張って色々アピールしたりと、彼が埋められない隙間を上手く埋めているように感じました。
完璧超人っぽい桂馬とおっちょこちょいで可愛げのあるエルシィのコンビは非常にバランスが良いですね。
■ 基本的に
桂馬とエルシィの二人で話が進むのですが、もっとキャラクターがいてもいいと思いました。
スピーディーで非常にわかりやすいのですが、何だか寂しい気がして。
原作読んでないのでなんとも言えませんが。
■ 評価としては
十分面白かったので星4つ。今度暇があれば原作も読んでみたいですね。