紫色のクオリア
- 作者: うえお久光,綱島志朗
- 出版社/メーカー: アスキーメディアワークス
- 発売日: 2009/07/10
- メディア: 文庫
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■ ストーリー
毬井ゆかりは、ニンゲンがロボットに見える。
正確にはヒトだけではなく、自分以外の『生きているモノ』、すべて。
可愛らしい容姿とその感性でぶっとんだ発言をする彼女はクラスでは天然系?で受け入れられ、ゆかりの親友である波濤マナブは色々思うところがありながらも彼女と平和的な時間を過ごしていた。
しかし、ゆかりの持つその不思議な感性に魅入られるように様々な出来事が彼女たちを取り巻くことになる。
■ クオリア
日本語に訳すと『感覚質』。
何のことかと言うと、『頭の中で生まれる感じ』のことである。
赤色の赤いというあの『感じ』、青色の、紫色の、その色というあの『感じ』。
ただ同じ色を見ても、人によって、状況によって、受け取り方は同じではなく様々である。
その『感じ』をクオリアと呼ぶ。
それは視覚に限らず、聴覚、触感、嗅覚、味覚、果ては痛覚までも、主観的な体験(つまり感想)にはすべてクオリアが伴うのだ。
簡単な例を挙げれば、英語を全く知らない日本人ならば、英語での会話は全く理解出来ない謎の言葉の羅列となりますが、英語が母国語の人であればそれは意味のある言葉になる、ということです。
■ 毬井ゆかり
彼女にとって自分以外のニンゲンはロボットでしかありません。
友人である波濤マナブはスーパーロボット系に見える。
当然ながらロボットに見えているがゆえに表情を読み取れず、触れ合う感触は硬質で硬い。
自身しかニンゲンに見えないがゆえに自身を信じられず、水に浮くことを信じることも出来ない。
好みの男性の基準もロボットで、ドリルに浪漫を感じると言う。
そんな彼女はこの世界にいることが許されるのだろうか。
彼女にとって世界で唯一のニンゲンである自身は、どうしようもなく『孤独』を感じざるを得ない。
■ この作品は
何か非常に難しい言葉や文章やらがそこそこに出てきます。
うまいこと何となく理解出来ればいいのですが、そうじゃないと頭が痛いことになります。
というわけで難しい文章の一例をお見せします。ちなみにこの難しい語りをしてくれるのはゆかりを目の敵にしている秀才の少女天条七美です。
「波濤は量子って、知ってる?」
「電子とか分子とか、・・・・・・モノの最小単位――だっけ?」
「そう。人間も星も、この世のあらゆる存在は『量子』という材料で作られている。で、この量子っていうのはね、『粒子』であると同時に『波』の性質も持っているの。・・・・・・わかる? ようするに、『形ある物質』であると同時に『形のないエネルギー』でもあること。波であるからこそ、確固としてあるものではなく、確率的に存在する。確率の濃度で表されるもの――それが、量子」
「確率の、濃度?」
「そう、そこにある可能性が、高いか低いか――量子はね、観測するまでそこにあるのかないのか『決定』されないの。『知ることができない』んじゃなくて、本当に、『決まっていない』。観測されて始めて、存在が『確定』する。だから観測するまでは、存在する管区率の高さ低さで考えるしかない――それが量子の性質。(後略)」
とか、
「じゃあ波濤は、『シュレディンガーの猫』っていう思考実験、知っている?」
「・・・・・・ええと、その、聞いたことがあるような、ないような――」
「簡単にいうとね、スイッチが押されると、致死性の毒ガスが発生する――そんな箱を用意して、中に猫を入れておく、すると猫はどうなるか?」
「だれかがスイッチが押すまでは、生きているけれど、スイッチを押されたら死ぬ?」
「ええ。普通ならそうね。でも、この思考実験では、毒ガスのスイッチを入れるのは『だれか』ではなく『量子』なの。つまりね、量子があったらスイッチが入り、量子がなかったらスイッチは入らない、という装置なわけ。
でも、量子は確率的な存在だから、観測されるまでのあるのかないのか決定されない。
だから量子によって決まるスイッチのオンオフも、観測されるまでは確率的なもの、ということになる。箱を開けて中を見るまで、量子と同じようにスイッチも、押されている状態と押されていない状態が同時に、確率的に存在することになる。そうなると、スイッチが生死が決まるその猫も、箱を開けて中を見るまでは量子やスイッチと同じように、生きている確率と死んでいる確率が同時に存在していることになる――なにがいいたいか、わかる?」
「ええと?」
「この実験はね、要するに、こういうことをいっているのよ。量子というものは、不思議な性質を持っている。けれど、それはミクロの世界での話であって、マクロの世界――現実世界には適用されない、――そう考えるのは、間違いだ! って。量子がスイッチを決定し、スイッチが猫の生死を決定するように、ミクロの世界で不思議なことが起きているなら、それはマクロの世界で起きなければおかしい。量子が本当にそういう存在なら、われわれもまた観測されない限り、生きている状態と死んでいる状態が同時に重なり合っている、量子のような存在でなければおかしい――『シュレディンガーの猫』はね、つまりそういう話なの」
どういう話だよ、ってなってきますので、現状への影響のみ鑑みて読むことをオススメします。
これを普通に受け入れられる方はかなり頭がいい・・・・・・いや、この作品にのめりこみ易いのではないでしょうか。
■ ただ
この作品の驚くべきところは他に類を見ない(少なくとも私は)発想の飛躍だと思います。
理屈から生み出す発想にも関わらず、自分なりの考えを付け加えて見事に物語に同調させています。
それは素人考えの私でも理解できるくらいでしたので、難しい理論を使っているわりには読みやすかったですね。
■ そして
この物語で大切なものは天才的なクオリアでは決してありません。
たとえ、目に見え感じ取れることが違ったとしても、感じ取れない大切なものは誰も何も変わらないということを教えてくれたような気がします。
■ 評価としては
気が付けば星5つ。
表紙イラストのゆかりの瞳に引き込まれた方は是非購入することをオススメします。(イラストの瞳を良く見てみよう)