私が考える、本を読むこととは?

■ これは
 si-ta001さんの『私的見解。高尚な文学書とライトノベルの違い』を読んで私の本を読むことに対する考え方を文字にして出力しただけです。私の頭に浮かんだ言葉をつらつらと書いて私がスッキリしようという自己満足文です。突発的に書いているので矛盾があるかもしれません。あったら指摘してあげてください。

 本当はsi-ta001さんのコメント欄に書こうと思ったのですが、あまりにも長文過ぎて日記にしちゃいました。

 ちなみに、si-ta001さんの話と関係はあるようでないので深く関係性を考えないで下さい。

■ しかし
 si-ta001さんはいいお考えをお持ちですね。私は一々このようなことを考えることができません(決してsi-ta001さんを侮辱しているわけではありません。お心を悪くしたのであればお詫び申し上げます)。

 何故なら基本的に私が本を読んでいるときに考えていることはたったの一つだけです。

 楽しめるか、楽しめないか。

 どんなに難解な書物だろうが、誰にも判読されていない言語だろうが、詩だろうが、絵本だろうが、たった一文字の言葉であろうが。

 楽しむ人間は楽しんで、楽しめない人間は楽しめないだけです。

 何故楽しめる人間は楽しめるのか? 何故楽しめない人間は楽しめないのか?

 簡単なことです。それぞれ十人十色の自分の考えがあるからです。

 そして本を読むことを『会話してコミュニケーションする』のではなく、『自らの考えを押し付ける』と考えます。

 本を読んで感想を出力するということはただ自己満足を形にしているだけです。

 複数の人が同じ本を読んだなら、当然肯定、否定、様々な意見が飛び交うことでしょう。

 しかし、共感することは出来ても、楽しめるか楽しめないかとはまた別の話になってくると思います。

■ 馬鹿で愚かなことを言っているだけかもしれませんが
 その本に対し自分がコミュニケーションを取れるの自分だけです。それも一方的に考えを押し付けることしか出来ません。

 当たり前の話かもしれませんが本は喋りません。自分の考えを口に出したところで返事が返ってくるはずもありません(別に私は生物学上の話がしたわけでも、物理学上の話がしたいわけでもありません)。

 もちろん同じ本を読んだもの同士で感想を言い合うことは出来ますが、それは本に返事を返したわけではありません。

 同じ結論や考え方を出したとしても、違う結論や考え方を出したとしても、本とコミュニケーションすることに対しては自己満足にしかならないからです。

 だったら作者に言えばいいじゃないかと考えるかもしれませんが、結局のところ上記に記した、『この本に返事をしたわけではありません』に結論が帰結し、同じ本を読んだもの同士で感想を言い合うことと何も変わらないのだと思います。既に亡くなっている方となんて話をすることすらできませんしね。

 屁理屈だろうとなんだろうと私はこう考えます。

 ・・・・・・ダメですね私は。自己満足の結論しか出せる気がしません。

■ だから私が出す結論は
 自分の好きにすればいい。

 私にできることは本に対して自分の考えを思い描くだけなのです。

 ただ、それだけでいい。

 私はただ本を楽しめる人でありたい。